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7月の反省 

時々「知らぬが仏」と言う言葉を思い出しはっとする瞬間がある。
ある場所に踏み行って「なんかヘンだぞ」と思ったら大人しくしているのがいいのに、立ち行っちゃいけない気配の知らせを無視して自我に従うとあまりよいことは無いのを忘れてしまう我が阿呆さ。
太古のおとぎの世界のように”決して見てはいけませんよ”なんて視界の結界を示されながら見てしまう弱い人間の話はたくさんある。
”これを知っておく事は自分の仕事にとって大事だろう”などと思いこみ、立ち行っちゃいけない領域にずかずかと入ってしまい後悔する事がある。
右脳と左脳が人より離れてんだろうと思うくらい思考判断がスロウなのにもかかわらず判断の道すがら動いてしまって後悔する時は、自我が強いあまりに謙虚を道に置いてきてしまった時だと思っている。
知るべきことと知る必要が無いことの扉選びは慎重に。
7月の反省。

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孤独はともだち 

夫はテレビ好きで、特に推理物と時代劇と相撲とタモリ物は欠かさず録画しています。
私はたまにつきあって見るくらいなので、チャンネルケンカというのはほとんどありません。
彼のお気に入りの「孤独のグルメ」という番組は私も好きで一緒に見ています。
世間では、孤独というと否定的な言葉の響きとしてとらえる人がほとんどですが、この番組は孤独を楽しむ大人を主人公としている所が好きです。
インテリア雑貨なのかな?輸入業を営む井之頭五郎という男が毎回仕事の合間に一人でランチをするというシンプルな内容で、食事の楽しみを心でつぶやくのですが、そのつぶやきやしぐさの間合いが心地よく、孤独を楽しむ事を世の人が受け入れる時代がようやくやってきたかと思わせてくれます。

よく、英語ではソリチュードとロンリネスは積極的孤独と疎外的孤独という意味の違いがあると言われますが、
私は自分の仕事を続けていく上の原動力としてどちらも必要だと思っています。
若い頃は、ロンリネス度がかなり高い人だったと思います。
でも、学生の頃に一人旅の楽しみを憶えてからは孤独が自分を楽しめる友になりました。
許される限りあえて孤独な環境に置くことが自分の心を保つ為には必要だということを知りました。
私は友人は少ないのですが、みんな孤独を肯定的に取り入れている人間ばかりです。
集団の中にいると、力強い半面、人間関係は慣れ合いで甘えがちになるところがだんだん耐えられなくなってくるという自分の性格の悪さ。
もちろん一人では生きていけないこと、隣人はかけがえのない存在だという事も分かっているつもりです。
バランスが悪くなると卑屈になり、そのバランスをニュートラルに戻すにはソリチュードのスペースが必要なのです。
卑屈は敵だ!と岡本太郎さんがおっしゃるように、これは一つの風邪のような病気でその時々しっかり直していかなければなりません。

話は戻って、テレビ好きの夫は私よりもさらに孤独を楽む度は上を行っています。
そのまた更に上を行っているのがマイペースなうちの犬ペスです。
ペスは家の中で人間と同じように生活しているのですが、飼い主のご機嫌を素早く察知し巧みに取り入りながらも、我々が気にならない自然な場所でしかも一人になれるタイミングにしっかり自分に合う居場所を見つけている。

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2月10日 

決断には時間がかかる方だと思います。
若い頃と違い、決断の結果に確信を求めるようになってきて、自分を窮屈にしているのではないかと思う事がある。
ただ、ある事にずるずると引きづられながら決断をずっと先延ばしにしていたら、いつの間にかそんな決断の必要性など飛んで行ってしまい自分の中で無くてはならぬものになっていた事もある。
とらわれがフィルターで濾されて残ったものが知らぬ間に自分のものになっていたのです。

迷った時はまず決断にとらわれないのがいいのかなと思う。
心を静かにして何も考えないで。
興奮していると、とらわれが心を占領してしまい自由な心の奥の声が聴こえなくなるから。
静かに。
しばし心の眼を開いて、進もう。





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1月7日 

近年まめにブログを書かなくなってしまいました。
たまにしか更新をしないせいか
たいしたこと書いてないせいか(これは確信持てる原因)
読んでくださる方がいなくなってきたということを機に
これからはかなり自分勝手に書いていこうと思います。

自分だけの手書きの日記と違い
活字で一般に公開するこのブログというものは
自分の心や状態を少し距離を置いたところから見たい、、
と思う時に書きたくなるような気がします。
活字にすると、感情が少しクールに
また、整頓されたような気になるから不思議です。(書体によってもその感じ方は変わると思いますが)

「分類」についてずっと考えています。
ある分類の中に属していると自覚しているのであれば、
ある安心感と利便性はあると思いますが
不自由さが同居する場所でもあります。
例えば、美術とひとことに言っても
一般の言葉になっている分類分けはさまざま。
洋画、日本画、彫刻、工芸、コンテンポラリーアート、仏教美術、ファインアート、メディアアート、童画、プリントアート、インテリアアート、はたまた○○大学系などなど、、
私の知らないジャンルも星のようにたくさんあると思います。
分類にわけられたものの中で重なりあったりからみあったり
正直私には訳がわかりません。
自分がどこに分類されるのかもよくわかりません。
美術館や画商など美術作品を扱う仕事の方たちにとっては
この「分類」がないと立ち行かないでしょう。
でも、作品を制作している人間は
そういう分類とか肩書など関係なく
作品に向き合い、作りたいものを作っている人たちが
ほとんどではないでしょうか。
偉そうなことを言ってしまいました。
あくまでも私の知っている小さな範囲ですが。
作品を鑑賞する方たちには、
くれぐれも分類の言葉の概念にとらわれず
自由な心で見ていただきたいと思います。
自由というのは孤独です。
価値判断が他人に属する事無く
自分の心魂にあるから。
ですので
観る人の心の眼と美術作品の中の眼がぴたりと合った時は
きっと心が解放されるに違いないと信じています。

私の暮らす場所の近くに美術館はありませんが
美術以上に美しいものに出会えます。
美しいものは自然が一番です。
でも、人間の身体と精神を使って生みだされた美は
人間だからこそ共感できるもので
その出会いは生きる楽しみです。

何かに出会って感じたことを形に表して確かめたい
と思ってつくり始めたら
思ってもみなかったものが形に現れてきたり
心の底で眠っていた眼を開いてくれるのが
表現の楽しさであります。
私のブログはありふれた言葉の集まりで
思うように書けないのですが
感情を言葉に分類して眺めるための道具として
使っていきたいと思います。

あるバランスを持って
カオスとコスモスを持っていたいという
とても矛盾した自分がいて
コントロールするのが大変です。



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雨のやさしい音 

早朝からずっと雨が降っています。

先日夫の友人でミュージシャンを仕事とされるアメリカ人のお客さまが来ました。
その日も朝から雨。
夕方家に帰ると、1階のリビングからやさしいギターの音色が聞こえてきました。
窓の外の雨に静かに話しかけるようにもきこえる繊細なギターのメロディ。
邪魔したらいけないと思い、簡単な挨拶をしてそのままそっと一人にしてあげました。
雨や風やこの小さな空間に自然ととけこみずっと気持よさそうに弾いていました。
自分のためだけに静かにうたうギターは子守唄のようで、2階にしっとり響いてくる音は聴いていて心地よかったなあ・・・。

気になるメロディがありました。

Rain Rain go away ・・・

後で教えてもらったら
雨よ雨、あっち行っちゃって、そしてまたいつか戻ってきて。
という古い子供の歌だそうです。
はじめて聴くのにとても懐かしい。
唄があまりにとけこみすぎて、なんだか雨も一緒に唄っているみたいに聴こえました。

普段のお仕事ではたくさんのお客さんを相手にパワフルなパフォーマンスで演奏される方ですが
こういうプライベートな音から生まれてくるやわらかな世界もまた素敵でした。

雨の精霊たちの小さな宴かな。


IMG_1885.jpg

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